ヨーローッパ駆け歩き ベルギー・オランダ
ヨーローッパ駆け歩き ベルギー・オランダ
↓ 愛の泉と呼ばれます。
マロニエに白い花が
← ブルージュ市庁舎
まるで御伽の国のようでした。
ブルージュの語源はbridge。運河の町で、訪れると運がいいっ?とか。
美智子様ゆかりのペギン教会 →
木はニレノキ、花はスイレンです。
← カリヨン(組鐘)のある塔
水面に垂れるヤナギ →
ミープ・ヒース著の「思い出のアンネ・フランク」によれば、アムステルダムでは、2万人の市民が、多くのユダヤ人をかくまっていたそうです。かくまったユダヤ人の、友人でも知り合いでもないのにです。
ブルージュは、ズインと呼ばれる北海の入江に発達した港町で、
ハンザ同盟で、ヨーロッパ最大の市場となった時代もありますが、
後にズインが砂で埋まり、港とし
ての機能を失い、ブルージュは中世のままの姿を街ごと封印したと言われます。
管理人お勧めの街です。
ブルージュから、E9=ヨーロッパ国際道路(左)でマーストリヒトへ。
マーストリヒト 手前の川は、ライン河の支流のひとつマース川。
マーストリヒトは国境の街。
大砲(今は使えない)は、マース川対岸の、ドイツの方向に向いています。
特に頑丈な造りのマーストリヒトの修道院
鉄が横壁をガッチリ固定しています。
← マーストリヒトのカリヨン(組鐘)
↓ どことなくブルージュのようにも。
マーストリヒトからアムステルダムへ。
ナチに抵抗したレジスタンスは、風車の羽の向き(静止角度)を変えることで、秘密の連絡に使ったとか。
かくまっているユダヤ人が病気等で亡くなると、夜のうちに遺体を運河に。かくまっていたことがナチに知れると、罰されるからです。
→
アムステルダムの運河と自転車は、よく似合います。
ミープ・ヒースも毎日自転車に乗っていました。
アムステルダム市役所には、”運河に落ちたクルマを引き上げる課”があったそうです。
1年に650台も運河に落ちたことがあり、それで保険会社が、クルマが落ちないように、ガードを設置したとのことです。 →
黄色の、アムステルダムの路面電車。
向こうの橋の奥の橋の、更に奥の橋まで見えますかどうか?見えたら運がいい!もちろん目も。
1945年、ナチから解放されると、鳩の群れが空を飛び回ったそうです。ナチから鳩を飼うことを禁止(レジスタンスの通信手段に鳩が使われることを、ナチが心配したから?)されていたため、鳩もかくまわれていた訳です。
市民は、街中が明るいオレンジ色で溢れるように、キンセンカの種をたくさん蒔いたとか。オレンジ色はオランダ王室の色なのです。
← アムステルダムのマヘレの吊り橋