ヨーローッパ駆け歩き ベルギー・オランダ

 

↓ 愛の泉と呼ばれます。

マロニエに白い花が

1−10 ベルギー  ブルージュ編

← ブルージュ市庁舎
   まるで御伽の国のようでした。

ブルージュの語源はbridge。運河の町で、訪れると運がいいっ?とか。

美智子様ゆかりのペギン教会 

 木はニレノキ、花はスイレンです。

← カリヨン(組鐘)のある塔

水面に垂れるヤナギ 

2−10 オランダ  マーストリヒト編

 ミープ・ヒース著の「思い出のアンネ・フランク」によれば、アムステルダムでは、2万人の市民が、多くのユダヤ人をかくまっていたそうです。かくまったユダヤ人の、友人でも知り合いでもないのにです。

 ブルージュは、ズインと呼ばれる北海の入江に発達した港町で、

ハンザ同盟で、ヨーロッパ最大の市場となった時代もありますが、

後にズインが砂で埋まり、港とし
ての機能を失い、ブルージュは中世のままの姿を街ごと封印したと言われます。
 管理人お勧めの街です。

ブルージュから、E9=ヨーロッパ国際道路(左)でマーストリヒトへ。

マーストリヒト         手前の川は、ライン河の支流のひとつマース川。

マーストリヒトは国境の街。
 大砲(今は使えない)は、マース川対岸の、ドイツの方向に向いています。

特に頑丈な造りのマーストリヒトの修道院

鉄が横壁をガッチリ固定しています。

←  マーストリヒトのカリヨン(組鐘)

↓    どことなくブルージュのようにも。

マーストリヒトからアムステルダムへ。

3−10 オランダ  アムステルダム編

 ナチに抵抗したレジスタンスは、風車の羽の向き(静止角度)を変えることで、秘密の連絡に使ったとか。

 かくまっているユダヤ人が病気等で亡くなると、夜のうちに遺体を運河に。かくまっていたことがナチに知れると、罰されるからです。

                       
アムステルダムの運河と自転車は、よく似合います。
ミープ・ヒースも毎日自転車に乗っていました。

 アムステルダム市役所には、”運河に落ちたクルマを引き上げる課”があったそうです。
1年に650台も運河に落ちたことがあり、それで保険会社が、クルマが落ちないように、ガードを設置したとのことです。  →

黄色の、アムステルダムの路面電車。

向こうの橋の奥の橋の、更に奥の橋まで見えますかどうか?見えたら運がいい!もちろん目も。

 1945年、ナチから解放されると、鳩の群れが空を飛び回ったそうです。ナチから鳩を飼うことを禁止(レジスタンスの通信手段に鳩が使われることを、ナチが心配したから?)されていたため、鳩もかくまわれていた訳です。
 市民は、街中が明るいオレンジ色で溢れるように、キンセンカの種をたくさん蒔いたとか。オレンジ色はオランダ王室の色なのです。

←  アムステルダムのマヘレの吊り橋