ヨーローッパ駆け歩き フランス
ヨーローッパ駆け歩き フランス
パリ市庁舎
レ・ミゼラブルでは、このすぐ近くの交番に警察手帳を預けて、刑事ジャベールはセーヌ河に身を投げます。ジャン・ヴァルジャンを追跡する法の権化ジャベールが、ジャンの法や秩序を越えた良心に破れる象徴的なシーンで、この物語の中では地味な場面ですが、当時既に死刑制度廃止を唱えていたユゴーにとって、大きな山場のひとつです。
ルーヴルとヴェルサイユに、ダヴィッドが描いたナポレオンの戴冠式の大きな絵(右上下)がありましたが、その戴冠式もノートルダム寺院で行わたそうです。
映画「パリは燃えているか」最後の場面は、ド・ゴールも出て来て、パリ解放。1944年8月24日パリ解放のミサもここで。ド・ゴールの葬儀もここで。
ギリシャ様式のマドレーヌ寺院
コリント様式の列柱が52本ありました。ここからコンコルド広場方向を見ると、同広場の奥のセーヌ河を越えて、同じギリシャ様式のブルボン宮が見えます。
カルーゼルの凱旋門
カルーゼルの凱旋門の奥にコンコルド広場のオベリスクの塔が見え、更にその奥のシャンゼリーゼ通りの先に、エトワールの凱旋門が見えます。
空から見ると、カルーゼルの凱旋門とエトワールの凱旋門とを縦軸に、マドレーヌ寺院とブルボン宮とを横軸にした大きな十字架があり、十字架の交わるところがコンコルド(=調和の意味)広場という訳です。
レ・ミゼラブルの中で、ユゴーは「パリがくしゃみをすれば世界が風邪をひく」と言ってますが、都市計画においても自信たっぷりのパリです。
エトワール凱旋門の「ラ・マルセイエーズ」
凱旋門には全部で10面の浮彫りがありすすが、もっとも有名なのが、リュード作のこの「ラ・マルセイエーズ」(シャンゼリーゼ側から見て右下の面。)
フランス革命時の1792年に義勇軍への参加を呼びかけ、その出陣の情景とか。翌年の1793年には、マリー・アントワネットが、コンコルド広場で処刑。この時代の様子は、ユゴーの「93年」に詳しく述べられています。
ノートルダム寺院
← 南のバラ窓
ノートルダム寺院
北のバラ窓 →
← ノートルダム寺院の聖母マリアの入口にある像
中央がサンドニ。切られた自分の首を持って、
サン ドニ門まで歩いたパリの守護神。
フランスの駆け歩きでは、ロワール河流域編、モン サン ミッシェル編、ヴェルサイユ編、ジヴェルニー編を準備中です。
レジスタンスのプレート
花が捧げられていたレジスタンスのプレート。
シテ島の裁判所近くの建物の壁にありました。
死亡した日は8月24日。パリ解放のその日です。
同寺院前のポイントゼロ
ルーヴルにある絵
ヴェルサイユにある絵
ルーヴル ドラクロアの「民衆を導く自由の女神」
銃を持った少年は、レ・ミゼラブルの中のプチ・ガブローシュを思わせます。
ルーヴル フェルメールの「レースを編む女」。ノンフラッシュで三脚なしの撮影ですので悪しからず。
ルーヴル ミロのヴィーナス
額から鼻のラインをピカソは参考にしたのではないでしょうか?
ルーヴル サモトラケのニケ
船の先端に取り付けていた像と言われます。レプリカを長野県美ヶ原高原美術館で見ました。
← オペラ座には多くの作曲家の像があります。
正面左端の像はロッシーニ(丸い枠の中)。
マドレーヌ寺院から。中央奥がブルボン宮
サントシャペルのステンドグラスは、まるで光の洪水のようです。
パリで時間がないとき、ここだけは必見です。
ノートルダムのイエスズメ
ここはパリ、やっぱりパリ。ラファイエットはデパートであり、華麗なギャラリーです。
サンジェルマン デ プレ教会前のカフェ ドウ マゴの店内にある、二つの中国人形の像。ドウマゴとは二つの中国人形の意味だそうです。
ドウ マゴの外の椅子にやって来たイエスズメ。お客が食べこぼすパンくずを狙っています。
ルーヴル モナ リザ(ジョコンダ夫人)を守るガラスは、日本の企業が提供したとか。
アンナとマリアとキリストと子羊
アンナの顔はモナリザに似てます。
駅を改造したオルセー美術館。引っ越す前の印象派美術館で見た作品群と、久しぶりの再会です。
ヨーロッパの美術館は、ノンフラッシュなら撮影OKが一般的です。人類共通の財産を美術館がたまたま預かっている、との考えからでしょうか。それでカケスだけアップして撮影(左)できました。
ロダンの作品展示方法は、印象派美術館(右)での展示の方がよかったと思います。
やっぱりパリ。オルセー美術館から、モンマルトルの丘の上にサクレクール寺院が見えます。辻邦生は生前、ここからの眺めが好きだったとか。
セザンヌの「トランプをする人々」。右は以前の印象派美術館で撮影した「トランプをする人々」。
右が貸し出し中のため、左の未完成の作品を展示しているのでは?と思いました。
やっぱりセザンヌ
モネやマネ、ゴッホ等もいいですが、一人静かにコツコツと、生涯研究熱心だったセザンヌが、管理人はやっぱり好きです。
カジモドが登場するユゴー作「ノートルダムド パリ」の舞台です。
シャンゼリーゼの途中の六叉路・ロンポワンには、6個の噴水があります。写真右の噴水の右に凱旋門が。
アルルの寝室(ゴッホ)
日本に返還されず、フランスに残された松方コレクションのうちのひとつです。
余談ですが、30年ほど前初めてパリを訪れたときのことです。ノートルダム寺院前の広場でおまわりさんに、「ユゴーの墓はこのノートルダム寺院の中ですか?」と単語と身振で尋ねたところ、南の方角を指さし、胸を張り大きな声で「パンテオン」と。胸を張った態度から、このおまわりさんもユゴーを尊敬しているんだなあと感じました。
また、地下鉄でモンパルナスからエトワールの凱旋門に行く途中、カンブロンヌという駅がありました。車内で近くの中年男性に「カンブロンヌ?ワーテルロー?」と聞くと、「ウィ」。彼は酔ってる風ではありませんでした。レ・ミゼラブルの中で、大きく横道に逸れて語られるワーテルローの戦いの章で、カンブロンヌという無名の兵士(実在した)を、ユゴーは「世界でもっとも汚い言葉を吐いて、世界に名を残した」と誇り高く紹介しています。その兵士の名が、駅名として残っているのではないかと思っていますが、まだ確認はできていません。
レ・ミゼラブルの売れ行きを気にしたユゴーが、亡命先から出版社に打った電文は、たった一文字で「?」。出版社からの返電は「!」。売れ行きにびっくりしているという訳です。世界一短い電文として知られています。
ジャンを追うジャヴェールの追跡や、コゼットとマリウスの恋、ル・シャンブルリー通りのバリケード、パリの下水道のこと等まで詳しく語られるレ・ミゼラブルの、壮大で、読者の良心に深く語りかける物語は、パリとは切り離せない関係です。
なお、余談の余談ですが、イギリスのウェリントンとナポレオンのワーテルローの戦いは、ツヴァイクの「人類の星の瞬間」の中でも、詳しく述べられています。また、ヴィクトル・ユゴーに新たに興味をお持ちになった方には、「レ・ミゼラブル」は長編ですから、先ずは「93年」や「死刑囚最後の日」を勧めいたします。