MOM マンドリン オーケストレーション メソッド
MOM マンドリン オーケストレーション メソッド
MOM=マンドリンオーケストレションメソッド概説
甲田弘志
1−5 はじめに
ウイーンマンドリンギターアンサンブルと熊本マンドリン協会が、
1988年9月9日に熊本市で共演した際、指揮者間の打ち合わせ
の場で、Ferdinand Zwickl氏に、トレモロ奏法をあまりお使いでない
理由を尋ねたところ、「日本人のように器用ではないから、トレモロ
が苦手」とのお応えでした。
(もちろん、通訳の方がおっしゃったのですが)
そのとき私は、彼がなんとやさしい紳士であることかと感じて、
既に取り組んでいた「MOM」の必要性を、改めて強く認識した次
第です。
以下、長年取り組んでおります「マンドリンオーケストレーショ
ンメソッド」=「MOM」について、簡単な概説らしいことを述べ
させていただきます。
マンドリン合奏のために、日夜、おたまじゃくしを書き込まれて
いる方にとって、何らかのお役に立てれば幸いです。 少しややこし
いお話しですので、もし眠くなられましたら、そのときはそれなり
の役目(安眠効果)は果たしたということで・・・。
なお、「MOM」については、25年間の取り組みを日本マンド
リン連盟の会報にしばらく連載しましたが、現在はお休みをいただ
いております。
2−5 マンドリンの弱点
マンドリンはフレットに助けられることから、ヴァイオリンより
も演奏が比較的簡単で、アマチュア向けの楽器と言えますが、反面、
フレットがあることによる弱点もあります。
それは、御承知のとおり、ポジションによってピッチが微妙に狂
うことです。例えば、マンドリンのA弦のH音と、別のマンドリン
(チューニングは同じ)のA弦のD音では、本来の短三度の響きを得
ることは困難なように思われます。
また、ピッキングとトレモロでは、時としてピッチが変わること
も、マンドリンの音楽会では、気になるところです。
もともと、トレモロはアタックの連続音ですから、ピッチが少し
でも合ってないとトレモロがなかなかハモらない、と言うより、ハ
モる暇がないという状態にあります。
以上のようなことを、ウィーンの聴衆は我慢ができないのではな
いでしょうか?。前述の、Ferdinand Zwickl氏の「トレモロが苦手」と
おっしゃたのは、和声よりも(和声を犠牲にしても)トレモロを好む、
日本人への配慮からではなっかたでしょうか? もちろんトレモロが苦
手だからとおっしゃったのも、本当のことかも知れませんが。
ウイーン等で御活躍の日本人のマンドリン演奏家は、日本で演奏
されるときと比べ、あちらではトレモロをあまりお使いではないの
ではないかと、私は予想していますが、実際のところはどうなので
しょうか?御存知の方からの情報をお待ち致します。
3−5 弱点のカバー
ピッチに問題があっても、音楽の味を出す方法はあります。
ひとつは、細やかなテンポルバートです。
もうひとつは、積極的なヴィヴラートの導入です。
テンポルバートは、25年前から少しずつ取り組んでおります。
はじめの頃は「トレモロの回数をパート内で揃えようとしている
のに、微妙にテンポを揺らすテンポルバートは演奏者泣かせ」とお
叱りを受けましたが、今では、マンドリンの世界でも音楽表現上の
大切な演奏技法のひとつとして、広く認識されるようになってきた
ように感じております。
また、ヴィヴラートについても、「フレットがあるのだからヴィ
ヴラートは不要」、「マンドリンのヴィヴラートは悪 」との論議も
ありましたが、微妙に狂ったピッチが、ヴィヴラートで自然にハモ
るようになることにお気付きの方が、今では意外と多くいらっしゃ
ることで、安心しています。もちろん、ヴィヴラートをかけない演
奏表現も、是非必要です。ノンヴィヴラートもヴィヴラートも、共
に大切な演奏技法です。 大きな声では言えませんが(小さな声なら
聞こえない)、トレモロのときはヴィヴラートはできませんけど。
「テンポルバート」と「ヴィヴラート」は、マンドリンだからこそ
特に必要な演奏技法のひとつ、ではなくて、ふたつと思っています。
4−5 ヒント
交響楽団のためには管弦楽法があるように、合唱には合唱のため
の、ピアノにはピアノの、ブラスにはブラスのオーケストレーショ
ンがあります。
同じように、マンドリンにはマンドリンのためのオーケストレー
ションが必要です。それが「MOM」=マンドリンオーケストレー
ションメソッドです。
「MOM」は、前述の「テンポルバート」、「ヴィヴラート」、及
び、「ハモるためのオーケストレーション」から成りますが、「ハ
モるため」の取り組みが最も特異な点です。
現代のお客さまは、大きな音を喜ばれるだけでなく、刺激的なリ
ズムに興奮されるだけでなく、ハモることの醍醐味(だいごみ)や
その音楽の世界にしかない独特の喜びを、十分に御存知です。
そのような、マンドリンの将来にとって大切なお客さまの求めに
お応えし、マンドリンオケが今後発展するためには、ハモるために
はどうするかという視点からの地道な取り組みが、是非とも必要と
私は考えて、この25年間実践して来ました。
概説のおしまいに、この「ハモるためのオーケストレーション」
の具体的方法を発見するためのヒント(となったこと)を、少し述
べさせていただきます。
◯トレモロの和音の海の上を、
ピッキングで歌わせるときは
ピッキングの方が低く聞こえることがありますので、
和音の海に溺れてしまわないような方法が必要です。
◯主音に向かう直前の導音は
どちらかと言えば低めより高めの方がよいので、
マンドリンならではの効果的な方法があります。
◯ピアノでたたく長三度は、
きれいにハモる幅より少し広く響きますが、
マンドリンの長三度は、ポジションによっては
ピアノの長三度よりもっと広い場合があります。
◯旋律ラインの盛り上がる音域により
調を決めるだけでなく、その場所の和声の
ハモり具合も考慮した上で調を決めるのは、
どの世界でも同じことですが、マンドリンでは、
特にその点の注意が求められます。
◯和声優先の場所では、
マンドリンの 微妙なピッチの狂いを知った上で、
まず完全五度が決まるように音の受け持ちを決めた後、
全体のオーケストレーションを組み立てる必要があります。
そこが旋律優先か和声優先かの違いを、
合唱曲や管弦楽曲以上に明確に意識して、
オーケストレーションする必要があります。
◯ピッチの狂いを考慮した上で、
スコアの上では和声が完成していても
マンドリン、マンドラ、マンドセロ等の
各弦の太さや強弱による影響度合いをも考慮して、
オーケストレーションを行う必要があります。
(気が遠くなりそうですが、マンドリンの世界でも
地道に取り組まなければならない分野だと思います。)
5−5 Q & A
Q1 「テンポルバート」とは何ですか?
A1 音楽表現上の必要性から、テンポを、少し揺らすことで、
いわゆる、ネバることや走ることとは根本的に異なります。
クラシックのオーケストラ曲や室内楽、ピアノや合唱の
世界では自然に行われている、演奏表現のひとつです。
ショパンのピアノ曲や室内楽の演奏を、じっくり聴いて
いると、テンポルバートのところは、すぐ気づかれると思
います。
テンポルバートは、演奏に音楽性があるかどうかの判断
基準のひとつと言えます。(必要以上にやり過ぎても、お
かしいですけど。)
オーケストラ曲の場合は、演奏者自身も気がつかないまま、
テンポルバートされている場合も多いようです。
もちろん会場のお客様さえ気づかないことも。しかし、
その味の違いは、奏者以上にお分かりですし、眠っていたは
ずのお客さまが、微妙なテンポルバートで目が覚めた、とい
った例もよく聞くところです。指揮者の、細やかなテンポル
バートにも付き合えるオケが、OKなオケです。
デジタル化された環境の中で、テンポルバートは、音楽表
現のために、今後もますます必要ではないでしょうか?今
演奏されている音楽の、生きている証しです。
オーケストラ全体が、ひとつの有機体として息ずいている
かどうか、そのひとつの証しがテンポルバートではないかと
考えています。
なお、ルバート(=Rubato)には、「盗む」の意味
があるそうです。
Q2 和声のことが分かりません。
A2 日本人は元来和声が苦手だったというか、和声の美に関
心を持たなかったのではないでしょうか。
日本画に遠近法はなかったように、日本の音楽には、西
洋で発展したような和声はありませんし、むしろ、和声を
排除した残りの部分に、美意識を感じたようなフシがあり
ます。そうです。フシ即ち旋律です。それにリズムを加え
ただけの単純(=よく言えば簡潔)な音楽の世界を愛した。
その単純さのゆえに、聴く人の心の中から何かいいものを
引き出した。それが、虫の音(ね)を右脳で聴く日本人の、
日本の音楽ではなかったでしょうか。
ですから、和音や和声のことがよく分からないのは、む
しろ、日本人として、西洋人にない美意識を持ってるいこ
との証左でもあります。(と思いたいものですが。)
江戸時代?、ウサギと象が同じ1枚の額の中で描かれた
西洋の絵を見て、象を見たことのない日本人は、「象とい
う動物はウサギより小さいぞう。」と思ったそうです。
なぜなら、その絵の中では、ウサギが手前に大きく描か
れ、象は遠くにウサギより小さく描かれていたからだとか。
遠近法をまだ知らなかった日本だったからこその、現象で
した。(「現象」の文字の中にも「象」がいますが。)
絵画の2次元のスペースで立体を表現するための遠近法
と、音楽の和声法とには何かしら響き合うものがあります。
勝手に話が逸れました。和声は体験だと思います。実際
にその響きを聴かないと分からない世界です。そして、体
験した後は、楽器で音を出さなくとも、理解できるように
なります。だから、ベートーベンは耳が不自由でも書けた
のですし、実際のところ、作曲家で楽器を使って書く人は
あまりいないでしょう。映画等の中で、作曲家がピアノを
叩いて、おたまじゃくしを書くような場面がありますが、
あれは、映画を見るお客様に対してのサービスです。
演奏する者にとって恐いのは、現代のお客さまは、和声
の美しさを、体験的に十分ご存知だと言うことでしょうか。
Q3 演奏中に、ピッチが合ってるかどうか、どうしたら分かりますか?
A3 今出している音から、次の音に移る前に、次の音の高さ
を(実際に音を出す前に)頭の中で出すことです。その音
と実際の音を聴き比べると、高いか低いかすぐ分かります。
楽器の演奏でなく、声を出して歌うとき、声を出す前に脳
がその高さを事前に知っているからこそ、私たちは歌える
のです。(行儀がよくありませんが、口笛も同じです。)
楽器を演奏するときには、その能力を使っていないだけ
ではないでしょうか?
まず、ピッチの狂いがあることに気づかない限り、ピッ
チの狂いは直せません。
Q4 「ソナタ形式」とは何ですか?
A4 俳句には、多くの俳人のいろいろな俳句作品があります
が、それらの俳句は、共通の形式=5、7、5という様式
に基づいています。音楽の楽曲の構成の上でも、このよう
な様式があり、その様式のひとつがソナタ形式です。
個々の俳句作品の個別の価値とは別に、5、7、5とい
う形式そのものに、日本的文化の美しさがあるように、ソ
ナタ形式で書かれた個々の作曲家の作品の、個別の美しさ
とは別に、ソナタ形式という様式そのものの美しさも、私
たちは自然に味わっている訳です。
更に、例えば、展開部での展開の方法に、作曲家独自の
個性を味わうような音楽の楽しみ方を、私たちは持ってい
ます。
ソナタ形式を、理論の上からでなく、聴くことで理解す
ることは、比較的簡単です。ピアノで習う、ソナチネやソ
ナタの第1楽章の殆どが、シンプルで分かりやすいソナタ
形式で書かれておりますので、楽譜を見ながらお聴きにな
ることで、ソナタ形式の基本は確認できるのではないでし
ょうか。
その後で、例えば、日本楽譜出版社刊のベートーベンの
「第9」のミニチュアスコア(有名な黄色表紙のスコア)
の、第1楽章についての溝部国光さんの解説をスコアの中
の音符で確認し、形式のことを意識して、実際に何度か聴
くことで、膨大なソナタ形式と、その形式を考えながら作
曲の構想を練り上げた、長篇小説作家のようなベートーベ
ンの頭脳の中に、立ち入ったような知的な楽しみを、味わ
うことができるかも知れません。
ソナタ形式を誰が確立したかアカデミックなことは、専
門書に譲ります。
Q5 オーケストレーションの方法を、具体的に知りたい。
A5 ベルリオーズの管弦楽法(= オーケストレーション)は
有名ですが、マンドリンの場合は、楽器の種類が少ないの
で、オーケストレーションにはそれほどこだわる必要はな
い、との考えも一方ではあるのですが、楽器の種類が少な
いからこそ、表現範囲を広げるために重要となる要素もあ
ります。食材の種類が少ないときの方が、料理は難しいの
に似てます。そこに、マンドリンのためのオーケストレー
ション=MOMの必要性があります。
マンドリンのためのオーケストレーションについて、詳
しく述べると、1册の本になってしまいますので、ここで
はオーケストレーションの基本的なこと、主に注意点を述
べさせていただきます。
1 楽器の音色の違いによるオーケストレーション
(例)実音が同じ高さでも、楽器の種類により音色が異なり
ます。(分かりきったことですが、オーケストレーショ
ンの基本ですので。)
2 音域とメリハリを考慮したオーケストレーション
(例1)異なる楽器の種類で実音の高さが同じでも、音域に
よっては、会場に通る音と、こもる音とがあります。
(例2)マンドセロの高音域(A弦)とマンドラの同音域で
の響きの競い合いや、馴染み具合を考慮すると、内声
の響きや和声を作る参考となります。また、高音域に
対する中、低音域の対旋律等の受け持たせの際も、役
に立ちます。
(例3)バイオリンとビオラの関係と、マンドリンとマンド
ラとの関係は、根本的に異なることを考慮した上で、
オーケストレーションする必要があります。
3 フレットによるピッチの微妙なずれを考慮したオーケスト
レーション。
(例)チューニングが正しい3人のマンドリンで、次の3つ
の音を、一人ずつ受け持たせて、トレモロでハモるかど
うか、試してください。
(1)C(A弦)、E(A弦)、G(E弦)
これでは、一般的に第3音(E)が少し高くなり、
なかなかハモりません。
(2)D(A弦)、F#(E弦)、A(E弦)
これでは、一般的に主音(D)が少し高くなり、
なかなかハモりません。
(3)G(D弦)、H(A弦)、D(A弦)
これでは、第5音(D)が高くなる場合があり、
なかなかハモりません。
(第5音ほどではありませんが、主音(G)も高く
なる場合があります。)
以上、少しの例ですが、マンドリンでハモらせるのは
なかなか困難です。このようなことを考慮した上でオー
ケストレーションすれば、マンドリンのトレモロでもハモ
り易い演奏ができると思います。それが「MOM」です。
「ミューズの森」をはじめ「雀通 りの猫のうた」シリー
ズ、並びに、演奏会用編曲作品は、すべて、この「MOM」
の手法によりオーケストレーションされ、マンドリンオー
ケストラの表現拡大のため、さまざまな演奏技法を求めてお
ります。
おしまいまでお読みいただき、ありがとうございました。
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