ボクの作曲無茶修行 甲田弘志

 

1はじめに
  村上春樹は『職業としての小説家』の中で「小説なんて書こうと思えば殆ど誰にだって書け
 るもの」と言っています。乱暴な言い方ですが私もそう思います。
  作曲も書こうと思えば誰でも書けるもの、と思います。
  作曲はまったくの独学です。  
  下総皖一著の「対位法」や「和声学」、属啓成著の「作曲技法」等を若い頃読みましたが、
 チンプンカンプンでした。中田喜直著の「実用和声学」は分かりやすくて参考になりました。
 しかし、長年スコアを見ながらレコードを聴いてきたことこそが、作曲にはもっとも役に立っ
 ているように思います。
  映画やドラマではピアノを弾いて楽譜を書く作曲家の姿が紹介されたりしますが、これは見
 る側に映像で分かりやすくするために、そのような場面が必要なのでしょう。
  作曲するのにピアノは必要ありません。他の楽器で音を出すこともありません。これは夜中
 に音を出すと近所迷惑だからという理由からでもありません。私の場合、実はピアノも習った
 ことがないのです。それでも作曲はできます。頭の中でならできます。これは小説家が文字を
 書く前に、頭の中では書くべきことが既に出来上がっていることと似ているのではないかと思
 いますが、小説家でなくとも、スマホでメールを書くとき殆どの人が下書きなどしないことと
 似ています。ベートーベンが耳が聞こえなくても作曲したのは、作曲する人から見れば特別な
 ことでもないのです。
  和声も頭の中で考えます。 主要な和音はもちろん副七や減七等や、転調させる前の和声の進
 行具合い等も、頭の中で考えます。調性のある音楽なら殆どの作曲家は楽器を使ってまで書く
 ことはないようです。無調でも全音音階程度までなら楽器は必要ないのではないでしょうか。
  ふとひらめいた旋律や思いついた和声の進行や、 街中のBGMで珍しい和声進行を聴いたと
 きなどは、持ち歩いている五線ノートにその場で書き留めておきます。後にそれらをヒント
 に、更に発展した形を作ることができるかも知れません。
  演奏会では楽譜を基に演奏者によるそのときどきの創造的な新らしい世界が表現されます。

  同じように楽譜の方も新たに創造される必要があります。今の時代の曲が生まれないと現代
 という時代を音楽では残せないということになってしまいます、と言えば堅過ぎて肩が凝りま
 すが、そのような大袈裟なことでなく、子供たちが常に楽しく絵を描くように、日常生活の中
 で曲を書くことが楽しみとなるような、そのようなきっかけになればと思い、このページを設
 けました。以下、少しでもお役に立てますなら幸いです。

青果市場のT(tea)おじいちゃん
  子供の頃、近所に青果市場がありました。活気のあるせりが済んで、せり落とされた野菜や
 果物がリヤカーや運搬自転車で運び出されてしまったあとは、安心しきった雀の声で賑やかで
 した。その時間帯に毎日市場の中をきれいに清掃していたのが、Tおじいちゃん。
  Tおじいちゃんは清掃の仕事が終わると、市場横の店でお茶を飲み(Tおじいちゃんが teaを
 飲む !)帰るときの自転車の荷台には、いつも野菜の切れ端が乗っていたのです。「食べら
 るっとに捨つるとはもったいなか」が、Tおじいちゃんの口ぐせでした。
  そのTおじいちゃんに接するときの若いお兄さんたちの腰が低いことに、私は不思議に思っ
 ていました。市場に出入する若いお兄さんたちは威勢がよくて、喧嘩もよく目にしたもので
 す。そんな環境の中、お兄さんたちがTおじいちゃんに接するときの、ことさらていねいな態
 度はどうしても不思議でならなかったのでした。
  夏休みの終わりの頃、その謎が解けました。実は、Tおじいちゃんの本職は金貸し業で、若
 いお兄さんたちの殆どがTおじいちゃんからお金を借りていたのでした。子供心に大人社会の
 一面を知り、Tおじいちゃんのことが私は好きになりました。

3幼稚園で毎日聞かされたレコードを聴きたくて・・・
 
 九州音楽幼稚園では園長の井上萬里子先生から「音楽は神さまの言葉」と言って毎日レコー
 ドを聞かされました。蓄音機の電池がなくなると音がだんだん下がっていくので、ハラハラし
 たものですが、そのとき蓄音機のハンドルを回して音楽が生き帰るときがうれしかったことを
 覚えています。もの心ついた頃から母の歌を聞いていたような気がしますが、音楽をいいなあ
 と感じたのは幼稚園でレコードを聞いたときからだったように思います。
  レコードを聴きたい一心で10歳のときから新聞配達を始めました。その収入で月にレコー
 ドを1枚だけ買うことができたのです。次の収入まで1か月間は同じ曲を毎日何度も聴いてい
 ました。朝刊だけでなく夕刊も配達し集金までしていたので友人と遊ぶ時間などなくて、立派
 なレコードオタク。何よりも音楽を聴きたいがために新聞配達は6年間1日も休んだことはな
 く、弱かった身体もいつのまにか元気になっていました。

4我が家ではピアノが買えないのがよかった
 
 我が家は経済的に豊かでもなく狭い家でした。それで可能性はまったくないと分かっていた
 のですが、あるとき母親に思い切って「ピアノが欲しい」言いいました。その理由を聞かれて
 「楽譜のリズムは分かるけでど音の高さはピアノがないと分からない」と言う私に、母は知ら
 ない曲のピアノ譜の左手のパートを、声に出して歌ったのでした。楽譜を見ればピアノがなく
 ても歌えることを、教えてくれたのです。しかし、その方法は「自分で考えなさい」と言って
 決っして教えてはくれませんでした。
  そこで私は、その頃、階名で覚えた「スワニー川」等のフォスターの歌や「荒城の月」など
 の、音と音の高さの間隔を ”ものさし” 代わりにして、初めて見る楽譜の音の高さを把握する練
 習をしました。そのような練習をしているうちに、やがて知らない曲も楽譜を見れば歌えるよ
 うになりました。
  この方法なら楽器がなくても誰にでも取り組めるのではないでしょうか?一度身についたら
 決っして忘れない(忘れようと思っても身体が覚えている)水泳や自転車乗りに似ています。
  絶対音感が加齢と共に実際の音より高く聴こえるようになるのに比べると、この方法は 少し
 面倒ではありますが、極めて有効なように思えます。
  初めて聞く曲は楽譜を描きながら聴くようになりました。そのため、歌の場合は歌詞まで聴
 く余裕がなくて、有名な歌でも歌詞まで覚えることは、とうとうでききないままです。
  
5スコアは宝の山
  スコアを見ながら同じ曲を何度も何度も聴いたことが、いろいろな面で役立っているように
 思います。
  クラリネットパートの楽譜では ♯ や♭が他のパートと違ったり、ホルンはどの曲でもハ長調
 で書いてあること等、 移調楽器のこともスコアを見ながら音を聴くことで知りました。楽譜は
 移調楽器も含めてすべて耳で聴こえるとおりの ”移動ド” で読むので、何の問題もなく、全体の
 和声の把握もラクだったのです。(これは後に、移調楽器が多い吹奏楽のための編曲でも役に
 立ちました。)
  また、対旋律や全体に溶け込んでいる中音域の音も、スコアを見ながら聴くと耳で”見つける”
 ことができました。更に、耳で聴くだけでなく、スコアを見ることで曲全体の構成を知ること
 ができたことは最大の収獲だったようです。
  「運命」の第1楽章の第1主題の部分(第2主題の出る前まで)の独特の緊張感はリズムか
 らだけでなく、実は和声にこそあるのではないかと気が付いたとき(=減七の和声を初めて見
 つけたとき・当時は減七という言葉さえも知らなかったのですが)、ベートーベンの脳の中を
 見たような気がしたものです。これは、読書で特に感動したとき、文字と文字の間から突然、
 会ったこともない作者が顔を出して来るような感じに似ています。
  スコアを見ながら聴くことでスコアの間違いも発見しました。例えば「第九」の第1楽章の
 230小節目のフルートや、第3楽章61小節目の3・4拍目の第2ファゴット等は印刷の間
 違いではないかなあと思いました。
  ただ、第1楽章第2主題の81小節目の最後の音(フルートとオーボエ)は、最近はD音
 (♭♭変ロ長調の第3音)で演奏されますが、ここは昔のままのB♭(主音)の方が正しいよ
 うに感じられます。確かにベートーベンの自筆楽譜(ファクシミリ)ではここはD音になって
 いますが、この第2主題を少し装飾した85小節目の最後の音もB♭ですし、279小節目か
 らチェロとコントラバスで奏される第2主題(=ここでは♭へ長調)でも、該当する音は主音
 (=へ長調の主音のF音)になっています。という訳で、ここだけはベートーベンの書きまち
 がい(お茶ではなくワインを飲み過ぎて)ではないかなあと思うのですが・・・・・果たして
 真実は?
  印刷のミスか作曲者の思い違いか作曲者の意図なのか、よく分からないところもあります。
  例えば茶イコフスキーの第5交響曲の第1楽章。54小節目のフルートのおしまいの音はAで
 す(=#ホ短調の第4音)が、同じ旋律の333小節目のおしまいの音はA#となっています。
 54小節目はクラリネットと一緒ですが、333小節目はフルートだけでしかもオクターブ上
 で奏されるので、ちょっと酒落っ気を出したのかも知れませんが・・・・・・果たして?

6「雀通りの猫のうた」
  
作曲作品はすべて 「雀通りの猫のうた」シリーズの中の曲として発表しています。漢字の
 「歌」でなく平仮名で「うた」としているのは、歌詞のある歌よりも楽器で演奏するための曲
 が殆どだからです。
  スズメもネコも日頃の生活のなかで特に身近な生きものです。この「雀通り猫のうた」シ
 リーズは何か特別なことではなく日常生活でふと感じたよろこびや、突然発見した驚き等をヒ
 ントに作曲した曲ばかりで、ホイットマンの詩のすべてが「草の葉」に納められていることに
 倣い、作曲作品のすべてを「雀通りの猫のうた」シリースの中の1曲として発表しています。 

7「あじさいの歌」
  
「あじさいの歌」は宇土市からの依頼を受けて書きました。たわれ島(風流島)や枕草子や
 伊勢物語のことや、住吉灯台やノリのことや、アジサイそのもののことについても調べまし
 た。また一方では、その頃はいじめが原因で自殺するという悲しいニュースを度々耳にしまし
 た。そして人と違うことがいじめの原因とも。結果としてそのような社会の姿をも反映した歌
 詞となりました。
  アジサイを遠くから見ればみんな同じように見えますが、近くでよく見るとみんなそれぞれ
 少し違っていて、その違いがあるからこそ全体がやさしく美しく見えるのではないかと気が付
 いたのです。そんなことを考えているうちに自然と出来たのがこの歌です。覚えやすく歌いや
 すいようにしながら、同時に個性に力点を置いた歌詞で、音楽では主旋律以外のパートも対旋
 律を演奏したり、おしまいでは自己主張するような終わり方としました。第2回目の紫陽花マ
 ンドリンコンサート以降、毎回演奏されています。
  2番の歌詞→ 赤や青やむらさき 白やピンクにぎやか いろいろの色のシンフォニー
         ひとつひとつひとつのあじさいの花は ひとりひとりひとりの幸せを
         ルルルルルー ラララララー あじさいは歌うよ
          
8「仲よしの花」
 
 この歌は紫陽花マンドリンコンサートが第20回を迎えることを記念して、宇土市が歌詞を
 一般公募して誕生した歌です。応募は他県からの応募も含めて多数ありましたが、その中か
 ら、大川正敏氏の歌詞が選ばれました。この歌は題名が示すとおり調和を歌ったものです。音
 楽も歌詞に合わせて明るくかわいらしく、おしまいは「あじさいの歌」とは対照的な終わりか
 たです。
  「あじさいの歌」はどちらかと言えば「個性」を大切にする歌で、「仲よしの花」はどちら
 かと言いえば「調和」を大切にする歌です。この”個性の歌”=「あじさいの歌」と”調和の歌”=
 「仲よしの花」の2曲がセットになって、6月の紫陽花マンドリンコンサートで毎回演奏され
 ています。
   2番の歌詞→ 小さな花が肩よせ合って ふんわり大きく仲よしお花
          (略)
          みんな海見て咲いている 仲よく海見て歌ってる

9「春風が運ぶ花の歌」
  この歌は今から30年以上前、熊本県立盲学校寄宿舎での演奏会が20回目に当たるのを記
 念して書きました。
  年度末が近づく忙しい時期、仕事を終えて帰宅の途中、毎日渡る橋の上で、ふと花の香りが
 したのです。それは川の土手で咲いた花の香りでした。朝はその香りはしなかったので、昼間
 の暖かさに誘われて、その日初めて開いたのでしょう。そのことに気が付いた瞬間に湧き出て
 来たのがこの歌です。忘れないうちにと、橋の街灯の明かりの下で一気に書いた曲です。夕食
 前の空腹状態だったので、この歌を思い出すと急にお茶を飲みたくなったり空腹を覚えたりし
 ます。この曲は空腹時だったからこそ出来たのかも知れません。
  音の高さの種類は12音ありますが、その12音の全部をこの曲では使っています。(歌の

 部分で11音を、もうひとつの音は伴奏で使用) 
  この曲は毎年、熊本県立盲学校寄宿舎での演奏会で演奏していますが、熊本県立劇場コン
 サートホールにおいて、高見久美子氏の2004年11月27日に初演されております。

10「Jazzっぽくねばなっとう」
  
最初は「レ・ミゼラブル」の中で登場する少年・ガブローシュのために「プチ・ガブロー
 シュ」という題名で作曲しました。耳の中で、最初からクラリネットの音色で響いて来たので
 す。(19  年)。ガブローシュはパリの浮浪児。バリケードから外に飛び出してヴォル
 テールやルソーの悪口を歌いながら銃の玉を拾い集めるこの少年は、遂に銃弾に当たって倒れ
 ます。ユゴーはこの浮浪児・ガブローシュのことを「この小さな偉大な魂は飛び去ってしまっ
 たのだ。」と書いています。 ドラクロアの有名な「民衆を率いる自由の女神」の絵の中で、中
 央の三色旗をかかげる自由の女神の足元(画面右)にいる少年が、私にはガブローシュに見え
 てしまいます。 
  この「プチ・ガブローシュ」の旋律に歌詞を後から付けたのがこの曲です。 ねばなっとうの
 思い出を歌詞にしましたが、題名で「Jazzっぽく」としながら「ねばねばー」と歌うリズムと
 最低音だけが少しジャズっぽいだけです。肝心の和声は殆どジャズっぽくなくて、楽器の演奏
 ができない者にとってはここまでが限界のようです。ジャズの和声について今後勉強すること
 ができたら、改めてピアノ譜をJazzっぽく書き直したい曲です。
   歌詞→ ねばねばーねばね ばねばねーばねば ねばねばーねばね ばねばねーばねば
       (略)
       僕は息とめひとつぶだけを 口に入れたけどやっぱり食べられない
       だけど兄貴はうまいうまいと 僕の分まで食べたよ よろこんで ねばねばを
       あの日から五年がたって 僕も食べてるねばねばおいしいねばねばねばなっとう 

12「Rodin Rodin Rodin」
  
勤務していた時期は楽譜が書けるのは昼休みと夜。その貴重な昼休みは(職場で楽譜は書け
 ないので)すぐ近くのカフェ・ロダンで殆ど毎日書いていました。コーヒーがおいしくて、店
 内で流れる音楽は好きな曲ばかり。落ち着ける素敵なカフェでした。ここで、急を要する編曲
 はもちろん、「よだかの星」や「銀河鉄道の夜」等も完成しました。ときどき注文した「若鳥
 のワイン蒸し」がおいしくて、そのときに使用されていた皿は、今も我が家でときどき食卓に
 並びます。
  当時は煙草がどうしてもやめられなくて、他のお客さまには大変な迷惑をかけました。ある
 日、大型の空気清浄器が設置されていました。店にも多大な迷惑をかけていたのでした。
  この曲はもちろんこの店で作曲しました。1987年11月28日に  合唱団により初演
 されました。
   歌詞→ ロダンロダンロダン それはカフェロダン
      (略)
       モーツァルトとともに 時はとまり
       ブラームスとともに あこがれは満ちてくる
       スプーンの音も軽やか 歌う ロダンロダンロダン(略)


13「たかなかなかなたかなづけ」
  
子供の頃はたかなづけをおいしいと思ったことはなかったのですが、そのおいしさに気が付
 いたときに作曲した曲です。 1987年11月28日に  合唱団により初演されました。
   歌詞→ たかなかなかなたかなづけ たかなかなかなたかなづけ(略)
       阿蘇は火の山世界一 阿蘇のたかなは日本一だ
       太陽いっぱい吸い込んで 地球の力をたくわえて
       育てた真心しみ込んで おいしいよ
       たかなづけー たかなづけー たかなづけー たかなづけー
       たかなかなかなたかなづけ どうぞ(略)

14「阿蘇の野のシンフォニー」
  
阿蘇の自然とそこに生きる人々の生活が、リズミカルな言葉で爽やかに描かれていた橘洋子
 さんの詩を読んで、読み進むのと殆ど同時にこの曲が浮かびました。橘洋子さんは詩人で詩集
 に「対座」があります。この歌は1987年11月28日にメゾソプラノ・前田宏子氏により
 初演されました(熊本市産業文化会館)。

15「緑の風と走れ」(熊本市電の歌)
 
 長い出張から帰って来て熊本駅前で電車の姿を目にしたときに、突然浮かんだ曲です。 この
 歌は1987年11月28日にメゾソプラノ・前田宏子氏により初演(熊本市産業文化会館)
 された後、その録音が電車の中でしばらくの間、流されていたそうです。
    歌詞→ 朝日を背に受けて お前はドコドコやって来る
        遠い昔の母の手に ひかれて乗ったよチンチンチン
       (略)
        出張帰りの駅前で お前は待ってるチンチンチン
        安心するんだ横願に 言いいたくなるよただいまと

16「街路樹の下で」
 
 仕事帰りのある日、通り過ぎたクルマの風圧に飛ばされてきた一枚の銀杏の葉が、街路樹の
 根もとでくるっと回転して止まりました。夕日が当って美しく見えました。そのくるっと回転
 した様子が、そのまま音になって立ちあがって来たのがこの曲です。テンポルバートを活かせ
 るように書いたこの曲は、ウイーンから来日したメンバーと共演したときのバージョンや、バ
 イオリンの鶴和美氏をゲストで迎え共演したときのバージョンのほか、複数のバージョンがあ
 ります。

17「音楽物語『銀河鉄道の夜』(朗読付き)」
  
朗読がない場合、音楽だけででも宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の物語を現しているので「音
 楽物語」としました。十字架や銀河鉄道や、ジョバンニやカンパネルラや母や、サソリ座等
 が、それぞれ個別の音楽(=宮沢賢治作曲の「星めぐりの歌」と「雀通りの猫のうた」の基本
 モチーフを素材にして作曲)で表現され、それらがこの物語のあらすじに添うように、つなが
 り合い発展するように書きました。
  この物語は童話として書かれていますが、賢治が言いたいことは小説では書き顕せないから
 童話というスタイルにせざるを得なかったと思われます。
  朗読文については、原作のおおまかなあらすじに沿って、朗読と音楽が同時進行して、言葉
 と音楽が響き合うようにしました(=音楽物語)。朗読文の作成に当たっては原作のほか
 に、絵本や解説書等も参考にしました。
  初演は19  年吉岡恭子氏の朗読。賢治没後80年に当たる2013年は伊井純子氏の朗
 読でした。
  なお、この音楽物語と同じような手法で「よだかの星」を書いていますが、「よだかの星」
 は原作どおり全文の朗読となっています。
  「音楽物語『銀河鉄道の夜』(朗読付き)」の解説は長文のためこちらをどうぞ。 

18「雀通りの猫のうた」から「弦楽四重奏のための『あんたがたどこsomewhere』
  雀の声を耳にしない朝はなく、猫と喋らない夜もありません。「雀通りの猫のうた」は特
 別な出来事ではなく、日頃の暮らしの中でふと見つけた驚きやときおり感じる喜びを、ヒン
 トにして書いた曲の総称です。

  この「あんたがたどこsomewhere」は熊本に伝わる歌を題材に作曲しました。
  
構成は、イントロに続くアレグロ、そしてゆるやかな中間部、おしまいは再びアレグロ
 となっています。

  わらべうたの「あんたがたどこさ」が4つの音しか使われていないことや、変拍子であ
 りながらも調子がよいことをヒントに、アレグロを書きました。ここでは主旋律を4つの
 音だけで示しながら、いきいきとした変拍子でユーモラスに音楽が進行します。

  
中間部では先ず「五木の子守歌」が現れます。「子守歌の中でもっとも悲しいのが『五
 木の子守歌』である。しかしこの歌が歌として成立したのは、そこに悲しみを乗り越えた
 人の営みがあったからこそ」と、ある書物で読んだことがあります。なるほど“水は天から
 もらい水”という歌詞には、辛い暮らしの中にあっても自然と共に生きる芯の強さが感じら
 れます。そのようなことをときおりわずかに変化する和声で表現してみました。

  続いて現れるのが山鹿灯籠まつりの「よへほ節」。この歌には転調が含まれています。
 転調には空間まで変えてしまうような力を感じます。この曲では、異なる複数の調で同時
 進行する複雑な響きの中から、最後に抜け出てくるのはひとつの調です。複数の調で同時
 進行する部分をキュビズムの絵に例えると、最後のひとつの調の部分は遠近法の絵のよう
 なもので、この瞬間に、転調とは異なりますが空間がゆらぐような感じが出せないかと取
 り組んでみました。

(つつく)

書き溜め中  題名のとおりお茶も出ませんが、よろしければお立ち寄りください。