音楽物語「銀河鉄道の夜」(朗読付き)解説
音楽物語「銀河鉄道の夜」(朗読付き)解説
1 この曲は、先ず「十字架のモチーフ」に始まります。白鳥座から天の川に沿ってずっと南
の南十字星まで走るのが銀河鉄道です。白鳥座は北十字とも呼ばれますので、銀河鉄道は北
の十字架から南の十字架まで走ることになります。それで曲の始まりを先ずは十字架のモチ
ーフとしました。この十字架のモチーフは、賢治作曲「星めぐりの歌」から導き出したもの
です。
この十字架のモチーフと「雀通りの猫のうた」のモチーフを材料にして、物語(朗読)の
進行に合わせて発展・構築したのが、音楽物語「銀河鉄道の夜」です。
主要テーマ(譜面)はこちら
2 東北地方が全国の中でもレコードの売上げが異常に多かったので、不思議に思ったレコー
ド会社が調べたところ、それは賢治がレコードを買っていたため、という話は有名です。そ
のような賢治のことですから、ベートーベンの「第九」もよく聴いていたことは十分想像で
きます。その第3楽章の第1主題の(静謐な)4つの音に、私は子供の頃からずっと今も、
自然と十字架をイメージします。そのことに倣い十字架のテーマは(「星めぐりの歌」から
抽出した断片を基に)4つの音を使いましたが、音の向きは(「第九」のそれとは逆に)上
向旋律となっています。この3つ目の音のとき早くも第4音(=実音G)を#にすることで、
上向性を和声でも表現しています。そして「雀通りの猫のうた」のモチーフにつながる全7
小節の間に、この物語の開幕の役割を受け持たせて、その後、賢治作曲「星めぐりの歌」の
演奏に移ると、「それは午後の授業のときでした」と、いよいよ朗読が始まります。
3 花巻市の宮澤賢治記念館で賢治が弾いたチェロを見たことがあります。チェロを習ったこ
とがある賢治は、自然倍音のこともピタゴラスの五音階のことも、実際に耳で理解していた
ように思われます。「星めぐりの歌」が五音階(「赤い目玉のさそり 広げた鷲の翼・・・」
と、旋律が五音階のため、歌い易い)で書かれていることでも、そのことを示しているよう
です。この旋律がチェロ、セロ、ギターで演奏されている間、朗読は「午後の授業」の光景
を読み進んで行きます。先生の銀河の話に合わせて「星めぐりの歌」を同時進行させている
訳ですが、演奏が始まった早い時点でこの旋律を登場させることで、この旋律から後に銀河
鉄道のテーマ等へと発展させた関係性が分かるようにするためでもあります。なお、(詳し
くご存じの方も多いかと思いますが)「星めぐりの歌」は賢治の他の作品「双子の星」の中
で紹介されています。
4「星めぐりの歌」の演奏が終わる頃には「午後の授業」の部分の朗読も終わりますが、先生
からジョバンニへの質問に対して「元気よく立ち上がる」様子を19小節のGuiとKbで表し、
答えは知っているのに答えることができない様子を、22小節目のMn1とGuiの1回だけの
フォルテで表現したりしています。「星めぐりの歌」のおしまいでは、「はい、今日の授業
がこれまで~」といった様子を表す4個の八分音符(36小節目のMn1、Mn2、Dola)と
フェルマータが、「午後の授業」に区切りをつけます。なお、この4個の八分音符は、この
曲のおしまいでは 物語の終わりを暗示する象徴的な大きな形となって現れます。
5 賢治の弟、宮澤清六さんが書いた「兄のトランク」を読むと、賢治がどれほど音楽が好き
だったかがよく分かります。ジョバンニという名はおそらくモーツァルトの「ドン・ジョバ
ンニ」かR.シュトラウスの「ドン・ファン」から取ったのでしょう。この名は西洋ではジョ
ンやヨハンやヨハネと同じで、一般的によくある名です。このジョバンニのテーマ(38小
節目から)は、賢治がしばしば「曲がった鉄砲玉のように飛び出す」(例:「無声慟哭」)
と使う言葉のイメージを音楽で表現するために、普通の音階のところどころに♯や♭を付け
ています。このジョバンニのテーマが演奏されている間に、ジョバンニの家庭のことが朗読
で語られます。ジョバンニがアルバイト先の活版所に着く頃は、丁度貨物列車が通り過ぎる
時間で、後で演奏される銀河鉄道のテーマの冒頭(64小節目)部分が、ここで伏線として
演奏されます。
6 アルバイトを終えてジョバンニが帰宅すると、音楽では母親のテーマがDolaに始まります
(71小節目)。やがてこのテーマはMn1に移りDolaは対旋律を受け持って、Mn1とDola
がジョバンニと母親の会話の様子を表現します。この会話の中で、ジョバンニに「祭りに行
っておいで」と言う母親が「でも、川には入らないでおくれ」と念を押しますが、この一言
がこの物語の顛末を暗示していることを、後になって読者は知ることになります。また「あ
れっ、今日の牛乳は来てないんだね」とジョバンニが母親に聞くシーンがあります。この物
語のはじめ「午後の授業」のとき天の川についての先生の説明で「このミルクをこぼしたよ
うな」という例えでミルク(=牛乳)という言葉が出て来ていたことに気がつく瞬間、読者
は賢治の脳の中にちょっと入り込んだことになるのかもしれません。
7 家を出たジョバンニは、喜んで(多分急ぎ足で)町に向かいます。賑やかな祭りはケンタ
ウル祭という星の祭りです。胴体や足が馬で顔は人間の姿をしたケンタウルの星座は、ずっ
と南の方にあるため日本からはよく見えない星座ですが、流石は星座にも詳しかった賢治の、
祭りのネイミングです。この場面では旋律も日本音階(=ピタゴラスの5音階と同じ)にな
り、また楽器を叩いたり、新たに小さな太鼓も加わったりして、お祭り風景とジョバンニの
うきうきした気分を表現しています。しかし、ジョバンニが十字の角を曲がろうとするとき、
意地悪なザネリが投げつけるようにジョバンニに言うのです。みんなも大声で「ラッコの上
着、ラッコの上着、ラッコの上着が来るってさ。」と、はやし立てます。カンパネルラと祭
りを見るのを楽しみにしていたジョバンニでしたが、みんなに苛められて急にぱっと胸が冷
たくなります。その様子を突然の全音音階や緊張感のある減七の和音と変拍子、その直後の
一瞬の空白(=空拍)で表現しています。なお、「十字路の角を曲がろうとする」ときの
「十字」という言葉は、賢治の脳の中では、白鳥座の北十字や南十字という言葉と響き合って
いたことでしょう。みんなに苛められたジョバンニは、町とは反対の方に走って行きます。
8 ジョバンニがみんなから苛められて丘の方に走って行った頃、カンパネルラは他の友だち
と共に舟に乗っていました。川に流したカラスウリの明かりがいくつも流れて光の帯のよう
に見えます(そして空には天の川)。この情景を音楽は古来から波を表すシチリアーノの旋
律で表現します。(余談ですが「シチリアーノ」と言えばバッハやフォーレやレスピーギの
曲が有名ですが、賢治の時代は、フォーレやレスピーギのレコードを日本ではまだ聴くこと
ができなかったように思われます。賢治はシチリアーノと言えばバッハのそれを聴いたと思
われます。)天の川と実際の川は、上向旋律と下向旋律の同時進行で表現しています。「ジ
ョバンニはまだかなあ」とカンパネルラは何度も川岸の方を振り返って見ているのですが、
読者はここで、ジョバンニの母親が「川には入らないでおくれ」と注意したことを知ってい
るため、既に川の中で舟に乗っているカンパネルラに何か起きるのでは?と予感させます。
なお、原作ではジョバンニは「カンパネルラがいるから大丈夫、カンパネルラは(しっかり
しているので)カンパネルラも僕も川には入らないから」という意味のことを母親に言って
いますので、原作を読む人は、カンパネルラに何か起きることを尚更予感させる部分で、音
楽ではそのことを164小節目の後半の和声の変化で、ほんの一瞬表現しています。
9 いよいよ第2楽章です。ジョバンニは町外れの黒い丘の上にいます。元気よく”曲がった鉄
砲玉”のようだったジョバンニのテーマは、冒頭から短調に変形して暗~く現れます。みんな
から苛められたジョバンニは「もうどこか遠いところへ行ってしまいたい」と悲しみでいっ
ぱいです。このときの主旋律(Mn1solo)は、はじめは第5音(H音)ばかりが何度も続き
(悲しみのあまり)他の音に移ることができません。
この音楽には「よだかの星」でみんなから醜いと言われて苛められるよだかの悲しみと同
じテーマが使われていますが、ここではMn1、Mn2、Dola、Cello、Guiの各soloによって
そのテーマの演奏が始まります。やがてtuttiに移行して、ジョバンニの悲しみは低音域まで
大きく揺り動かし、遂には和声上の(古典的な)約束ごとまで破ってしまいます(20小節
目)。
10「天気輪(てんきりん)」については、いろいろな説があるそうですが、一説では、木の
柱(又は石の柱?)の上部の方をくりぬいた(丸い)穴に、双方から和紙を貼って塞いで、
その紙の張り具合(ピンと張ったら晴れ、緩んだら雨=障子の紙の状態で天気を予想するの
に似た方法)で、天気を予想するものとも。この天気輪の柱がぺかぺか消えたりともったり
して(音楽では25小節目~)、だんだんはっきりしてきて、とうとう凛として空に向かっ
てすきっと立った(同35~36小節目)かと思うと、「銀河ステーション」という不思議
な声(同37小節目~)が聞こえ、空いちめんが光の粒で輝き渡り(同41小節目~)、空
全体がゆっくりと動き出した(同46小節目~)、という不思議な光景についても、いろい
ろな説が出されています。仏教とりわけ法華経の見宝塔品(けんほうとうぼん)というお経
の始まりでは、空中に大きな塔が突然立ち、「よきかなよきかな」という仏様の大音声が空
から聞こえて来るという劇的な場面があります。キリスト教だけでなく仏教も深く学んだ賢
治は、ジョバンニを夢の世界(=異次元=あの世)に入り込ませる手段として、お経のこの
場面をヒントにしたように思えます。夢の世界に入り込むときの和声が最終的には二長調へ
と広がると(52小節目~)、やがて遠くから銀河鉄道のテーマが聞こえてきます。
11(夢の中で)気がついて見るとジョバンニは軽便(けい「べん」と読みます)鉄道に乗っ
ています。同じ車内になんとカンパネルラもいました。(カンパネルラの服は何故か水に濡
れていますが、この場面ではそのことに読者はあまり気にもとめません。この物語のおしま
いまで読んで、水に濡れた原因がはじめて分かるとういう訳です。)銀河鉄道のテーマは、
軽便鉄道のガタンゴトンのリズムに乗って、賢治作曲の「星めぐりの歌」を材料に、八分音
符だけを用いて軽やかに変奏曲風に演奏されます(56小節目~)。みんなから苛められる
ジョバンニにとって、ただ一人の友だちカンパネルラとの、楽しい汽車の旅をこのテーマで
表現しながら、朗読に合わせて白鳥たちのテーマ(99小節目~)や北十字の十字架のテー
マ(低音域115小節目~)も現れたりしながら、天の川に沿って南へ南へと銀河鉄道は進
んで行き、第2楽章が終わります。
原作では、化石のことや鳥り捕りのことやどこへでも行ける切符のことや、ドボルザーク
の「新世界」交響曲を思わせるような興味深い話や光景が次々と続くのですが、時間の都合
で朗読ではカットしております。
12 第3楽章はカンパネルラのテーマに始まります。賢治はリスト作曲の「カンパネラ(=
鐘)」をレコードで聴いて知っていたはずで、このテーマはその曲の出だしをヒントにして
おります。担任の先生に勧められてこの物語を最初に読んだのは私が小学生の時でした。当
時は意味の分からないところが沢山。不思議な物語だなあという印象だけが強く残っていま
す。誤解していたことも沢山あるのですが、カンパネルラは女の子だと思っていたのもその
ひとつです。この物語の主人公はジョバンニではなくて、実はカンパネルラだということも
ずっと後になって読み直したときに知りました。突然カンパネルラが「お母さんは僕のこと
を許してくださるだろうか?」とジョバンニに尋ねることから始まる二人の会話は、どこと
なく噛み合ず読者にもよく分かりません(その理由も、ジョバンニが夢から覚めた後になっ
て初めて分かるのですが)。
13「りんごの匂いがする」で始まる次の場面で、賢治はタイタニック号の遭難(1912年
4月14日)の際、実際にあった話を挿入しています。この物語の主題と大きくかかわるた
め、横道に逸れますがこの遭難のことを、以下、少し紹介します。
タイタニック号の1等客室サロンに設置されるはずだった大きなオルゴール(高さ3m以
上、幅2以上、奥行1m以上=80名編成のオーケストラに匹敵する演奏が可能)と、タイ
タニック号に関する資料を、昨年、河口湖畔のオルゴール博物館で見ました。そこで展示さ
れた詳しい資料によると、不沈と呼ばれた豪華客船タイタニック号初航海の出航までに、こ
のオルゴールは搭載が間に合わず、代わりに8人の音楽家が2等客室扱いとして乗船し、長
い船旅の間、人々に生の演奏で楽しい音楽を提供したそうです。船内での演奏曲はドボルザ
ークのユーモレスク、ドビュッシーの亜麻色の髪の乙女、マスカーニのカバレリア・ルステ
ィカーナ間奏曲、モンティのチャルダッシュ等で、現在もおなじみの曲ばかり。タイタニッ
ク号は4月10日にイギリスのサザンプトンを出航し、フランスのシェルブール、アイルラ
ンドのクイーンズタウンに寄港した後、大西洋を渡ってニューヨークに向かう途中、氷山に
衝突。衝突した直後から人々がパニックにならないようにと、8人の音楽家は(避難指示が
出た後も)演奏を続け、タイタニック号と運命を共にしました。更に実話として、(タイタ
ニック号は片側に大きく傾いたため救命ボートの半分は使えず)絶対的に不足する救命ボー
トを人々は譲り合った、と伝えられます。
全乗船者2206人以上のうち助かったのは710人。当時16歳だった賢治はこの出来
事を新聞で知り、後に、銀河鉄道の乗客の中に、救命ボートを他の人に譲った家庭教師と女
の子として(原作では男の子も)登場させたという訳です。
14 資料によると、明治45年4月21日(遭難7日後)付けの東京朝日新聞のタイタニッ
ク号遭難記事に「最後の端艇(ボート)発するや同船の楽隊は大広間に集まり一同ここに
『ニヤラーマイゴッド、ツ、ソレイー(=主よみもとに)』の歌を奏した」と。賢治はこの
記事のことを知っていたからこそ、家庭教師に「『主よみもとに』の讃美歌が氷の海の上を
流れて行きました」と語らせたのでしょう。しかし、8人の音楽家の詳細や彼らが船上で演
奏していた曲目までは、当時の日本で詳しく報道されたとは考えられません。彼らが演奏し
ていた同じ曲を賢治は日頃レコードで聴いていますから、もしそのようなことまで賢治が知
っていたならば、家庭教師だけでなくこの音楽家たちのことも銀河鉄道の乗客として、登場
させたのではないかと思われます。車内でジョバンニとカンパネルラが、彼らの演奏(例え
ば、ピタゴラスの五音階による不思議な音楽)を聴くような場面が、設定されたかもしれま
せん。最下部左の写真はタイタニックと運命を共にした、バイオリン、チェロ、ピアノ、ク
ラリネット等8人の奏者。下右はタイタニック船内に設置されるはずだった巨大なオルゴー
ル(高さ3メートル)で、TITANIC MODELの文字が見えます(撮影:筆者)。(写真はこ
のページの最下部)
15「主のみもとに」について、賢治の自筆原稿では、その讃美歌の番号を書き入れるためと
思われる2~3文字分の空白があります。賢治はこの讃美歌は知っていたけどその番号が分
からず、後で調べて書き込むつもりで空白としていたと考えられています。賢治の時代に使
われていた1903年(明治36年)版の「讃美歌」では249番で、賢治が亡くなる前の
1931年(昭和6年版)では306番となっていたそうです。もしかすると、賢治は番号
は249番と知っていて1931年の改訂で番号が変わったことまでは聞いていたものの新
しい番号まではまだ知らず、それを調べてから書き込むつもりで空白としていたのかもしれ
ません。現在の日本基督教団発行の讃美歌では第320番(創世記28章10節~)となっ
ています。この創世記28章10節~は「ヤコブの夢」というお話で天国に至る梯子(階
段?)が出てくるそうで(天国行きの銀河鉄道に乗った)ジョバンニが見た夢に通じるもの
があります。
音楽の方は、朗読の「りんごの匂いがする」の後に、この曲がカルテット(2019年版
ではマリンバ)で先ず始まり、続いてオクターブ高い音域でマンドリンが歌い、同時に、低
音域では対旋律が流れます。船が沈む様子を最低音のアクセントの付いた長い音で現し、ま
た、天国に至るイメージを和声の変化で表現しています(例:70小節目後半の第4音を#
=第1楽章冒頭の十字架のテーマと同じ)。
16 再び楽しい汽車の旅は続きます(77小節目~)。やがて空にまっ赤な火が燃えてさそ
り座(さそりのテーマ=107小節目~)が現れます。小さな虫を食べていたさそりが、今
度は自分がイタチに食べられそうになり追いかけられて井戸に落ちた話を、女の子が紹介し
ます。さそりはこんなことになるんだったら自分をイタチに食べさせればよかったと思い
「今度生まれ変わるときは私の身体をお使いください」と神様に祈ると、さそりは星になっ
たというこの話は、「よだかの星」の主題にも通じます。実際のさそり座は、夏、山に登る
とよく見えますが、さそり座の中で最も目立つのがアンタレスと呼ばれる赤い星。この近く
に火星(=赤く見える)が来ることからアンチ(=「アンチ巨人と言うときの「アンチ」の
意味)アーレス(=火星のこと)から、アンタレスと呼ばれるようになったとか。「星めぐ
りの歌」の歌詞の出だしは「赤い目玉のさそり」ですから、賢治もこの星にはとりわけ興味
を持っていたことが、その生き方と共に強く感じられます。
17 ご存じの方も多いと思いますが、賢治の詩に、若くして病気で亡くなった妹・とし子を
歌った「永訣の朝」、「松の針」、「無声慟哭」という有名な作品があります。「今日のう
ちに遠くへ行ってしまう、私の健気な妹よ」(原文は平仮名)で始まる一連の詩は殆ど平仮
名で、しかもとし子の言葉は花巻の方言で書かれているため、はじめは意味がよく分かりま
せんでした。
40年ほど前に小岩井農場に行く機会があって、とし子のこの言葉の読み方(抑揚等)を
尋ねたことがあります。すると「これは花巻の言葉なので、正しくは分かりません」と。同
じ岩手県でも花巻の方言にはそれほど独特の抑揚があるのかなあと思ったものです。この詩
で、とし子の言葉がいくつか出てきますが、その中に「今度生まれて来るときは、こんなに
自分のことばっかりで苦しまないように(=人のために苦しむことができるように)生まれ
て来る」というような言葉があります。死を前にしてこのような会話を交わす、とし子と賢
治の心の内を知ったときの衝撃は、今も鮮明です。
ジョバンニを賢治に、カンパネルラをとし子に置き換えて見ると、女性を連想させるよう
なカンパネルラという名を採用したことに、深い意味がありそうです。
梅原猛の説明によると、仏教の生命論では仏になるには菩薩という修行があり、この菩薩
行というのは現代流にひらたく言えば、自分のために修行するのではなく人のために(=利
他)ということのようです。六道を越えて声聞(しょうもん)や縁覚に達して、その道を極
めたとしても、菩薩道に至らなければ、まだまだ利己である。一方、菩薩行は学問がなくて
も・知識がなくても誰にでもできる → 誰でも仏になれる、ということのようです。(縁覚
をひらたく言えば音楽や美術等の世界でその道を極めた状態で、声聞をひらたく言えば文学
や学問等の世界でその道を極めた状態を言うらしい?のですが、このような説明で間違いが
ないのかどうか、自信はありません。)
18 賢治の詩では(残念ながら)「雨にも負けず」が広く知られていますが、「永訣の朝」、
「松の針」、「無声慟哭」をまだご存じでない方には、是非一読をお勧めしたい作品です。
さて、銀河鉄道は終点に近づき、暗黒星雲も見えます。南十字星(サザンクロス)の近くに
は石炭袋(コールサック)と呼ばれる真っ暗な部分(=暗黒星雲)があるそうですが、日本
からは見えないそうです。やがて終点のサザンクロス駅に着くと家庭教師や女の子たちもみ
んな降りて行きます。カンパネルラが「あそこの野原はなんてきれいなんだろう、みんな集
まってるねえ、あそこがきっと天上なんだ」とうれしそうに窓の外を指差します。ジョバン
ニもそっちを見ますがジョバンニには見えません。「何にも見えないよ」と振り返ると、そ
こにはもうカンパネルラもいなくなっていました。誰もいなくなった車内でジョバンニはた
だひとり、カンパネルラの名を叫びます。
19 この3楽章は物語と同じく音楽面でもっとも重要な部分です。家庭教師と女の子の登場
は「りんごの匂いがする」の朗読で始まりますが、このときはG.P.(=すべての楽器が演奏
を休む。40小節目)となっています。そしてここでの音楽「主よみもとに」は、1楽章か
らずっと休みだったカルテット(2019版ではマリンバ、以下同じ)が初めて演奏します。
その後この歌はカルテットと演奏を競い合うようにMn1の高音域に受け継がれ、更にMn1
soloとMn2soloのデュエットをVn1とVn2が装飾する等、オーケストレーションも賑やか
になります。もうひとつの重要なさそりのテーマ(107小節目~)も登場し、減七の和声
や変拍子で緊張感を更に高めます。いなくなったカンパネルラの名をジョバンニが叫ぶ朗読
のタイミングに、G.P.をぴったり合わせる演奏は、本番限りのスリル満点の瞬間です。
銀河鉄道の終点では、南十字星を表す十字架のテーマが現れ(185小節目)、雀通りの
猫の歌のモチーフを経て、教会音楽風の和声の中でカンパネルラのモチーフ(191小節目)
や星めぐりの歌の冒頭のモチーフや銀河鉄道のリズムを遠くに残して、ジョバンニが夢から
覚める第4楽章へと続きます。
20 第4楽章に入る前に再び横道に逸れることをお許しください。ナチスから逃れてアムス
テルダムの屋根裏部屋に隠れて暮らす(「アンネの日記」で知られる)アンネ・フランク一
家。この家族の日常の生活を支援したミープ・ヒースという女性がいました。小さなアムス
テルダムの街でしかも密告が横行する中、誰に相談することもなく、自分の危険をかえりみ
ず当然のこととして、ユダヤ人を匿い世話をした彼女のような人たちが、ナチス占領下のア
ムステルダムに20,000人いたそうです(ミープ・ヒース著「思い出のアンネ・フラク」)。
彼女はそのことを特別なことではなく、その場にいたら誰もがそうしたであろう当然のこと
をしたまでと、後に述懐しています。心の最も深いところで、神や良心と厳粛に向き合い即
行動で示したこの実話は、タイタニック沈没のときに救命ボートを他人に譲った家庭教師に
も通じるように思えます。タイタニックの遭難は1912年ですから、「アンネの日記」の
時代よりも30年前のことでした。
21 宮澤賢治作曲「星めぐりの歌」で第4楽章が始まります。「僕、夢を見てたんだ」とジ
ョバンニが目を覚まし「空全体の位置はさっきとそんなに変わっていなようでした」と言う
のですから、眠っていた時間はそれほど長くはなかったようです。仮に、町から丘の上まで
10分、丘の上から町を抜けて川まで15分と仮定し、後にカンパネルラのお父さんが「流
されてから45分が経ちました」と言ったこと等と考え合わせると、ジョバンニが眠ってい
たのはせいぜい15分間程度と想像できます。星は1時間に15度(360/24=15)
動きますから、15分では4度弱になります。夢の中の時間(=銀河鉄道に乗って北十字か
ら南十字まで旅した時間)と物理的な時間(15分)が違うのは、当然のことなのですが、
夢の中で脳が(自分が)感じた時間と物理的時間のどちらが(自分にとっては)本当の時間
だったのだろう?などと考え始めると、それこそ時間ばかりが経ってしまいます。
22 ジョバンニは、丘を駆け下って町に戻ります。夢の中でカンパネルラが突然いなくなっ
たので、ジョバンニは胸騒ぎを覚えていたことでしょう。「子供が川に落ちた」という声を
聞いて、ジョバンニはさあっと胸が冷たくなって、一気に川まで走ります。そこで、川に落
ちたザネリをカンパネルラがすぐ飛び込んで助けたけど(この「すぐ」という言葉が重たい
と思います)、カンパネルラが流されたままで、まだ見つからないことを知ります。ここで
の音楽は緊張感のあるさそりのテーマが演奏されます。第3楽章のときと較べると対旋律が
加わるなどオーケストレーションが複雑になり緊張感が増し、更に和声も変化しています。
ジョバンニはもうカンパネルラは銀河の果てにしかいないように思っていますが、みんなは
「僕、随分泳いだぞ」と言って今にもカンパネルラが出て来るような気がしています。この
みんなのわずかな期待感を84小節目からの変ロ長調への転調で現しています。またこの変
ロ長調を事前に準備しておくことで、(この曲の基本の調である)ニ長調の十字架のテーマ
(94小節目)が劇的な効果を持って登場できるように準備しています。
十字架のテーマの直前93小節目の和音は(変ロ長調の)属七で、その属七音のA♭の音
が半音上がった音が十字架のテーマの最初の音(Aの音)になっています。)
23 和声の面から、#が増えると上の方へ向かうように感じます。バッハは#に十字架をイ
メージ(=十字架を少しずらして2つ重ねると#に見えます)し、♭に涙を感じたと言う説
もあります。=「バッハの秘密」(淡野弓子著)。十字架のテーマ(94小節目)は、厳粛
な感じを出すために(拍子も変わり)弦のVnやVaのトレモロで演奏されますが、このテー
マは二長調で出るものの、和声の流れとしては105小節目までは#が増える(イ長調)方
向にあります。102小節目からは、全体は既にイ長調の世界なのですが、CelloとKbは
(雀通りのモチーフを)ニ長調のままで演奏し、天上(イ長調)と地上(ニ長調)を同居させ
たような和声の構造です。
そして105小節目の3拍目のMn1のG音(=アクセント付き)以降で全体が地上(二長
調)に引き戻され、続く107小節目で、中・低音域で(地上の)二長調の音階が大きく演
奏されます。その後カンパネルラのテーマがMn2等に名残り惜しそうに現れて、和声的に
はなおも天上(イ長調)へ向かおうとするのですが、中・低音域による「星めぐりの歌」の
モチーフがニ長調で力強く、しかもすべての音にアクセント付きで現れ(116小節目)て、
完全に(地上の・現実の)ニ長調がしっかりと確定します。十字架のテーマはここで初めて
全体像(94~117小節)が現れることになります。
24 音楽もいよいよ最後の場面です。118小節目では世界が広がった和声(へ長調の下属
和音)を経て121小節目ではニ長調で物語のおしまいを知らせる音形(第1楽章36小節
目、第4楽章16小節目と同じ音形)が現れ、123小節目では更に広がった和声(変ロ長
調の下属和音)を経て、(126小節目では)ニ長調でおしまいを示す音形が再度大きく示
されます。この間、高音ではそのときどきの調性の上で、「星めぐりの歌」の冒頭のモチー
フが凝縮された形で繰り返えされながら、最後はその音形が更に高音域まで達して、全体が
もっとも大きくなって音楽を終わります。
(おしまいまでお読みいただきありがとうございます。タイタニック関連の8人の演奏家と
巨大なオルゴールの写真は、HP作成ソフトの都合から、このずっと下の方にあります。↓)
「雀通りの猫のうた」から
音楽物語「銀河鉄道の夜」(朗読付き) 作曲:甲田弘志