せめて一時間だけでも・コンラート・ラテに捧げるピアノトリオ
甲田弘志作曲
せめて一時間だけでも・コンラート・ラテに捧げるピアノトリオ
甲田弘志作曲
”水晶の夜”以降始まる強制収容所送りを逃れて、音楽を求める熱い情熱から、彼はなんとナチス政権下のベルリンに潜伏しました。
◯ゲシュタポによる監視と密告が横行する恐怖の中、ラテはもちろん命がけ。彼の毎日の地下生活を支える普通の市民も命がけ、彼に音楽を教える先生も命がけでした。
◯戦後、奇跡的に生還したラテは、トマス・マンからの米国移住の勧め等も断り「命がけの危険の中で手を差し伸べてくれた人たちがここにいるからこそ」とドイツに留まって、ベルリンバロックオーケストラを設立し、助けてくれた多くの市民のために、生涯をかけて音楽で恩返しを果たしました。
◯子供時代には、ラテがピアノ、妹ガービがヴァイオリン、ガービの友だちのアニタ(*)がチェロを演奏し、ピアノ三重奏を楽しんだこともあったと伝えられています。
(*)アニタ:外に出ることができるのはただ一度、煙になって煙突から外に出るときだけと言われた強制収容所のアウシュヴィッツ。アニタはチェロのお陰でその収容所内の合奏団に入れられ、幸運にもガス室送りを免れて奇跡的に生還しました。収容所の合奏団の指揮者は、ウイーンフィルのコンサートマスターを父に、マーラーの妹を母に持つという女性でしたが、収容所内で死亡。アニタは戦後はイギリスに渡り、ダニエル・バレンボイム等と共にイギリス室内合奏団を設立しました。アニタは「チェロを弾く少女アニタ」で知られています。
(参考)
収容所の合奏団の指揮者の名はアルマ・ロゼー。彼女の父アーノルド・ロゼーは当時世界最高のコンサートマスターと呼ばれ、ロゼー弦楽四重奏団の主宰者でもありました。合奏団は、ヴァイオリン、フルート、ギター、マンドリン、アコーディオン等の編成で、オーケストラと呼ぶにはほど遠い編成でした。しかし、「チェロを弾く少女アニタ」の中に、次のような記述もあり、合奏団のレベルは音楽的に相当高いレベルにあったことを知ることができます。
『メンバーの一人ファニアはベートーヴェンのピアノソナタ「悲愴」を、彼女の記憶だけを頼りに弦楽四重奏用に編曲して、自分たちの楽しみのために室内楽を演奏したのである。アウシュヴィッツで室内楽の夕べ! こうして私たちは真の意味で、自分たち自身を、生き地獄の中から、収容所生活での屈辱などが触れることができない、天空の高みまで持ち上げたのだった。』
◯「せめて一時間だけでも」
ペーター・シュナイダー著・八木輝明訳(慶応義塾大学出版会)
◯「チェロを弾く少女アニタ」
アニタ・ラスカー=ウォルフィッシュ著・藤島淳一訳(原書房)